遺伝子の発現が環境に左右され、環境の影響が遺伝することもあるという新しい研究

  ** エピジェネティクス 繰られる遺伝子 リチャード・フランシス(アメリカ) ** 


これまでいろいろな本を読んできましたが、最近このエピジェネティクスという言葉に出会うことが増えてきています。どんなものなのか学んでみたいと思っていたら、この本に出合いました。

エピジェネティクスというのは、分子生物学領域での新しい研究分野で、さかんに研究されるようになったのはここ10年ぐらいのことらしいです。一言で言えば、「遺伝子によらない遺伝の仕組みを研究する学問」(188ページ)。遺伝にかかわる情報は全て遺伝子に書かれていると思っていたら、どうも違うらしいのです。DNAの配列は変化しないまま、DNAの性質が長期的、あるいは恒久的に変化することがあり、それが世代を超えて伝わることがあるのだそうです。

遺伝だから治らないとか、いや環境だから予防できるとか、これまで発達障害について議論してきたことも、もしかしたら、最初から議論のやり直しになる可能性があります。とにかく、エピジェネティクスの基本的なことがらについて、この本から学んでみたいと思います。

エピジェネティクス 操られる遺伝子

エピジェネティクス 操られる遺伝子

私自身は1980年代に高校を卒業し、その時点の生物学の基礎知識でものを考えていたわけですが、基礎的なことはそう変わってはいないようです。遺伝子はDNA分子の塩基配列からなり、アデニン(A)、シトシン(C)、グアニン(G)、チミン(T)の組み合わせによる二重螺旋の構造をしています。この情報がRNAに転写され、その情報が翻訳されて、たんぱく質が生成され、われわれの身体を作っています。

DNAを構成する塩基のひとつひとつに、メチル基(CH3)が付着する(メチル化)と、遺伝子の活性化の度合いがかわり、発現するかどうかが変わってくるというのが、新しい考え方で、エピジェネティクスの一分野とされています。


この本では一般の人に分かりやすいように、人間の健康に関わる研究を例に出しながらエピジェネティクスを説明しています。

そのひとつが、胎内環境や育て方によって発現する遺伝子の性質が変わってくるということでした。

受精卵は母親の胎内で細胞分裂を繰り返し、だんだんと内臓や皮膚などに分化して人間らしい身体に成長していくのですが、そのとき、

母親が極度なストレス状態にあることなどが、胎児の遺伝子の状態を変え、形質の出方を変えるのだといいます。ストレスで脳内のホルモンの量が変わることで、そのホルモンの受容体を持った細胞での遺伝子発現が促進されたり抑制されたりするのですが、ホルモンの出方を変えているのが、脳内ホルモンに関わる遺伝子のメチル化であると述べられています。

胎内だけでなく、子育てにおいても、母親が精神的に不安定で不適切な養育をした場合も同じようなことが起きると考えられているようです。動物園のゴリラが育児放棄し、子ゴリラを人間が世話して育てるとそのゴリラが親になったときに育児放棄をすることや、ラットの実験で、親によく舐めてもらった子と舐めてもらえなかった子の脳を調べると、大人になっても海馬の糖質コルチコイド受容体というものの量が違うこと、そのことが視床下部からのホルモンの放出の抑制に関係し、結果的には、舐めてもらったラットは大人になってもストレスに強い個体になるというようなことが書いてあります。

母親の子育てがうまいと、脱メチル化がすすみ、子育てがへただとメチル化がすすむ。メチル化したGR遺伝子は、NGFと結合しにくくなる。その結果、海馬ではGRがあまり生産されなくなり、ストレス軸が過敏となり、そのマウスは恐怖や不安に陥りやすくなるのだ(61ページ)

ここでNGFというのは転写因子の一種で、これを媒介して遺伝子が発現するので、NGFと結合しにくくなる、ということは、遺伝子が発現しにくくなることを指しています。

これらの説明は、いわゆる『虐待の連鎖』の議論に関わるものですが、人間の場合はゴリラなどと違って、親以外の人間関係や社会環境の影響を受けてその連鎖が断ち切られる場合が多いことが補足されています。メチル化は元に戻すことができ、一部の動物実験では薬で改善できたと書いてあります。


ここまでは、ストレスに弱い親に育てられるとストレスに弱い子どもが育つことが、エピジェネティクスで説明できるという話でしたが、これは社会的な遺伝であって、直接的に遺伝子が受け継がれているわけではありません。でも、メチル化した遺伝子がそのまま受精卵に受け継がれ、直接遺伝することもあるらしいです。

マウスの毛色や健康状態、植物の開花時期などの例が紹介されています。植物では数百世代にわたってエピジェネティックな遺伝が伝わるといいます。ヒトなどの哺乳類では、ほとんどのメチル化は受精のときに除去されると考えられているのですが、思春期前に食糧不足を経験した男子の子どもが循環器疾患にかかりやすい、などの統計結果があり、親が経験したことが遺伝子を変化させ子どもに伝わっている可能性があるといいます。

エピジェネティクスではメチル化という分野がいちばんよく知られているようですが、この本ではこのほかに、ランダムさということにも言及しています。女性のX染色体は二本ありますが、まだらに活性化して一本分が発現するようになっているそうで、どんなパターンで活性化するかは個体によって違うというのです。三毛猫のクローンを作っても模様が全然違うといった例が紹介されています。

ここで私が注目したのは、Xウイメンといわれる特殊な色覚を持った女性でした。赤緑色盲の遺伝子が中途半端に発現した結果赤と緑の中間帯にいちばん反応する錐体細胞を持ち、普通の人ではとても識別できない細かな色合いがわかる独特の色彩感覚を持つ人たちがいるというのです。このような女性がどのくらいの頻度で存在するのかは書いてありませんでしたが、発達障害とされる人たちの中にXウイメンが紛れているかもしれないと思いました。


このほかに、がん治療にエピジェネティクスを応用できる可能性(がん細胞は脱メチル化が進みすぎていることがわかっている)や、iPS細胞、環境ホルモンなどについても述べられています。妊娠中の母親の栄養状態が悪いと子どもが肥満になりやすいという話やドーピングで筋肉が増強される遺伝子の仕組みの話は今回は割愛しましたが、興味がある方は本文をお読みください。


エピジェネティクスはまだ仮説の段階であり、多くの反論もあるようですが、多数の研究者がさまざまな角度から研究をすすめているようです。

この本を読んで全てを理解したわけではないけれど、遺伝子は忠実に受け渡され、突然変異と淘汰によって進化がなされるというこれまでの常識は覆され、一人一人が生きた人生が遺伝子に刻印され、その影響が子孫に受け継がれている可能性が示されたということはわかりました。

脳科学の新しい知見とともに、21世紀の新しい科学の歴史を作っていく学問分野のひとつになる予感がします。発達障害にも大いに関係しています。これからいろいろな本を読んでいく上でかなり参考になると予想しています。









(『エピジェネティクス 繰られる遺伝子』リチャード・フランシス/著 野中香方子/訳 2011年12月 ダイヤモンド社 )


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