☆レビューのレビュー(その10)☆発達障害からみえるポスト・モダン

おかげさまで、目標の100冊を達成できました。ありがとうございます。

 
最後の一冊は脳の多様性についてでした。(→記事
 
生物や文化の多様性については様々なテレビ番組などでも紹介され、私たちの認識も少しずつ変わってきています。思い出していただきたいのですが、25年ぐらい前までは、ヨーロッパの文化は進んでいて他の国は遅れている、人間が全ての生物の中で最も優れているという考え方でした。劣等国とか下等動物などという言葉づかいが当たり前だったのです。
今は、それぞれの文化に特色や良さがあることを認め合うのが当たり前だし、生物が多様でそれぞれの役割を果たし地球環境が調和しているというと考えるのが普通です。
 
この考え方は、大きな流れとしてはポスト・モダンという枠に入るのだと思います。モダンとは近代のことで、ポストというのは「…の後」という意味です。つまり、近代的なものを超えていく、新しいものの考え方です。

この10冊の中には、ほかにも、ポスト・モダンな考え方が出てきました。

間主観性や間主体性といった「あいだ」の考え方です。

近代では、ものを細かく分析すること、客観的に対象を観察したり実験したりして研究することがさかんに行われました。動物や人間は生き物ですが、その身体がどのように働くのかを調べるために、死体を解剖していました。
人間もひとりで生まれひとりで成長するかのように記述されてきました。生きている人間と人間の「あいだ」が研究されるようになったのも、近代の枠組みを超えていこうとしていることの現れと読むことができます。(

そして、このブログで少しずつ扱ってきたもうひとつのポスト・モダンに、
身体性 があります。

最初は、脳を整えるのに身体を動かすのがいいのかな、というような軽い気持ちで取り上げたのですが、アントニオ・ダマシオの研究()や、イタリアの新しいリハビリ理論()、脳腸相関()などを知るにつれ、身体の感覚と脳を切り離して考えていてはこころの問題を理解することも解決することもできないのだと考えるようになりました。


このブログでは、脳の可塑性()やエピジェネティクス)についてもとりあげました。

20年前に科学の常識とされていたことが、通用しない時代になっています。
発達障害についての理解のされ方も変わってきています。
精神障害全般についても、少しずつ変わってきています。
いや、病気や障害というものについての考え方が、変わってきています。
脳と身体の関係だけでなく、からだとこころの関係についても、新しい見方が生まれつつあります。
 
 
しかし、振り返ってよくよく考えてみれば、
これらの「新しいこと」は、私たち日本人にとって特に新しいことだったのでしょうか。学問を離れた実際の社会生活の中で、日本人が古くから現実に対処してきたやり方の中に、多様性や間主体性や身体性の考え方がすでにあったのではないでしょうか。ポスト・モダンとは、西洋の考え方と私たちの考え方がやっと同じフィールドで論じられる時代になっただけなのではないでしょうか。

私は発達障害についての専門家のまことしやかな説明に、どこか腑に落ちない、納得がいかないという感覚をずっと持ち続けてきました。本を読んでレポートしながらも、全てをそのまま受け入れられない気持ちがありました。さまざまの角度から語られた発達障害やその周辺の話題を集め、パッチワークのように並べてみようとしていました。
 
発達障害というものは、所詮、西洋からの輸入品なのだと思うのです。それも20世紀特有の、標準からはずれたものに名前をつけるという考え方の産物です。人為的に、文化的につくられた標準からはずれたものにです。

これからは、私がぐずぐず考えなくても、発達障害というものは新しい見え方でもっとわかりやすく語られていくんじゃないかと思います。

私は、新しいブログに移って、視野を広げてさまざまのことを書いていきたいと考えています。長い間ご愛読ありがとうございました。

(これで終わりではありません。次回の更新で、新しいブログのアドレスへのリンクを張りますのでお楽しみに)


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