過剰な記憶〜<ない>と<ありすぎる>の間

** 忘れられない脳 ジル・プライス バート・デイビスアメリカ) **


ひとつ前の記事でとりあげた記憶障害の指揮者のことが、この本のなかで触れられていました(60ページ)。

この本を書いたジル・プライスさんは、これとは全く正反対の症状で悩んでいる方です。

44歳になっても、8歳からの記憶が、くっきりと思い出せてしまう。何月何日にどこで何をしたか、そのときどんな気分だったか、テレビのニュースで何をやっていたか、たちどころに正確に思い出せるのです。

この人のことを、私は以前テレビ番組で見た記憶があり、実在する人だということをあまり疑わずに読むことができましたが、それでも、世の中には、とても珍しい能力を備えた人がいるものです。


忘れられない脳 記憶の檻に閉じ込められた私

忘れられない脳 記憶の檻に閉じ込められた私

 
自分の身の回りに起こったこまごまとした出来事の記憶は、エピソード記憶と呼ばれています。ひとつ前の記事で取り上げた例は数秒前のエピソード記憶がなくなってしまう例、そして、この女性の場合は、数十年前まで詳細に覚えていてとても正確に思い出せてしまう例です。

ふたつの例を並べてすぐ気がつくのは、私たち<普通>の記憶力は、その中間にあるということです。私たちのエピソード記憶は、ちょっと前については鮮明で、数日たつとなんとなくあいまいで、数年たったら、特に印象に残った部分だけが残っているという感じになっています。

多くの人が、記憶力が良いというのを聞くと、とても喜ばしいことで、何の問題もないと考えるといいます。しかし、本人は、私たちとはかなり違う人生を送って来たようです。


まず、この記憶力は、学校の勉強のような、何かを覚えこもうとするときの記憶力とは違う能力だということです。むしろ、時ともなく思い出される古い記憶が邪魔をして、学業の成績はあまり振るわず、怠けていると言われて辛い思いをしたようです。

記憶が音や匂い、模様などをきっかけに勝手に呼び出されてしまい、当時の情景がありありと再現され、感覚も感情も鮮明によみがえってしまうので、制御できない、記憶に囚われているという感じを持ってしまったといいます。

そして、彼女がいちばん他の人と違っていたのは、普通の人が自然にやっている、思い出を自分流に操作して自分像を作り上げ、アイデンティティーを確立するという作業ができないということでした。


人は自分史を書き換えながらアイデンティティーを作り上げているということ。これは、どういうことでしょうか。

自分は何ものなのか。たとえば医学部に進もうとしている人が、16歳のとき、ある医師と話したことがきっかけで医師を目指すようになったと語るとします。それは、大事な人生の目標にはなにか理由やきっかけがあるはずだという視点から、過去を巧みに書き換えた結果だといいます。過去の記憶を全く書き換えるというより、過去の出来事の意味合いを後から付け加えることで、現在の自分の主題や信条を創出することが次々と行われているといいます。

記憶の正確さはかなりあいまいなもので、取り出すときに時期や人物が入れ替わったり、バイアスがかかって誇張されたり、印象が変わったりしてしまうので、自分の物語は自分の都合のよいように作り変えられ、それが、今の自分のよりどころ、つまりアイデンティティーになっていくというのが、<普通>の人間のエピソード記憶なのだといえます。


彼女は自分にはそのような脳の書き換えがないといい、他の人のそのような脳の作用を勉強し理解していますが、事実をゆがめて書き直すことなんかしたくない。できなくて結構という思いがある、といいます(163ページ)。

私は、この部分を読んだとき、あっ、と、気がついたことがありました。

ひとつ前の記事でとりあげた記憶障害の彼は、とんでもない作り話をこしらえてしまいます。ケンブリッジ在学中に国じゅうの病院を運営したという話です。実際は、ケンブリッジ在学中にホテルでアルバイトをしたことがあったそうで、妻である筆者はホテルと病院は意味的には近く、なけなしの記憶をつなぎ合わせて筋を通したのだろうと推測しています。(前出『7秒しか記憶がもたない男』311ページ)

これは、認知症の老人にもよく見られる『作話』という現象で、私たちは奇妙な行動として捉えてしまいますが、ここで私が気がついたのは、

超人的な記憶力を持つ彼女にしてみれば、この世の人々が皆ボケていて勝手な作り話をしているように見えていて、それは、相対的に見れば、私たちが認知症や記憶障害の人に対して持つ見え方と同じだということでした。

記憶力のレベルが認知症の人よりすこしマシなだけで、作話で筋を通して自分を保っているという点では、まったく同じです。

彼女は、知人の記憶違いなどを訂正することを、ある時期から諦めています。人は、自分の間違った記憶の方をあくまでも正しいと言い張ることが多く、証拠を揃えて訂正しても益することがないことを知ったからでした。

自分のまわりの大勢の人たちが、それぞれ好き勝手に歴史を作り変え、都合の悪いことは忘れて生きている中で、自分だけがビデオのまき戻しのように正確に過去を思い出すことができるというのは、恐ろしく孤独な体験なのではないかと思いました。

過剰な能力を持つ人は、多かれ少なかれ、そのような孤独を体験するのではないかと想像します。




この人の能力は、過剰な記憶の力ととらえることもできるし、忘れる力、記憶を封じ込める力の不足ととらえることもできると思います。記憶と忘却のアンバランスとも捉えることができます。果たしてこの状態が、どのような原因で起こっているのかというのが、とても興味があることです。

脳の画像診断では、エピソード記憶にかかわる部位が異常に大きかったというようなことが書いてあります(294ページ訳者あとがき)。しかし、それは、生まれたときから決まっていたことなのか、彼女の生い立ちの影響で特別に成長した結果なのか、それはわからないようです。

彼女じしんは、8歳のときに転居した経験が、なんらかのきっかけではないかと考えているようでした。引越しに抵抗し、思い出を残しておきたいと願ったこと。このころからの記憶が鮮明に残っており、11歳ごろと14歳ごろに、記憶がめまぐるしく暴走した時期があったということでした。

まるでスイッチが入ったように、彼女のエピソード記憶の力は<異常に発達>してしまったわけですが、その原因は、わかりません。

発達障害の<障害>は、不足や欠如を意味するものではなく、定型と違っているというという意味だということはよく言われることです。そこには、過剰やアンバランスが含まれます。エピソード記憶という点から、特に不足する例と特に過剰な例を並べてみたことで、発達障害が定型と違うということの意味がすこし掴みやすくなったような気がしました。

また、私たちの脳が、生い立ちの中のいろんな環境に対応して、ある部分が特に発達したり、ある部分の成長が抑制されたりすることがあるということが、とてもイメージしやすくなったように感じました。それが、環境にすべて由来するのか、もともとの素質が環境に作用されて開花するのか、それはわからないです。が、実際に、そうやって成長していく過程で、私たちひとりひとりの個性的な脳が形作られ、その中で、発達障害という問題もでてくるのだと理解できます。

自閉症スペクトラムに見られるフラッシュバック、タイムスリップ現象との類似も気になりました。エピソード記憶の力を測定する方法があるのなら、ASDの人についての統計的な数値をぜひ知りたいと思いました。また、エピソード記憶が弱い人はうつになりにくく、楽観的に暮らしているのかもしれないとも思いました。

いろんな示唆を与えてくれた一冊でした。



(『忘れられない脳』ジル・プライス バート・デービス 橋本硯也:訳 2009年8月 ランダムハウス講談社 The Woman Who Can't Forget )



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