あの文豪、あの映画監督もアスペルガー症候群!?

  ** 漫画でもわかるアスペルガー読本  編著:井上敏明 漫画:森野としお    **



アスペルガー症候群の人は、数学や物理学、工学などが得意な人に比較的多く、文系でも知識の収集に徹していて人間の心理には疎く、世間知らずである、というイメージがあります。気持ちがまっすぐで正直者だが、どこか抜けている感じがあったり、人の細かい心の動きに全く反応しないので、やりにくい人という印象を持たれる。職人肌の人にも多く、単純作業に飽きないとされていたりします。

でも、映画監督や小説家にもアスペルガー系がいるという話だと、ちょっとニュアンスが変わってくると思いませんか?


漫画でもわかるアスペルガー読本

漫画でもわかるアスペルガー読本


前半は文章、後半は漫画で、アスペルガー症候群アスペルガー症と診断される人たちのことを解説していますが、著者は医学畑の方ではなく、臨床心理士(臨床心理学博士 Ph.D)です。カウンセリング経験にもとづいたたくさんの事例が紹介され、より当事者の生活実態に寄り添った形で理解しようとしていることがうかがえます。


この本では、アインシュタインエジソン以外に、次のような有名人が、アスペルガー系と推測されるとして、紹介されています。
 スティーブン・スピルバーグ  黒澤明  芥川龍之介  谷崎潤一郎  フランツ・カフカ  良寛

映画監督、文学者、宗教家。あまり他の本では出てこないジャンルですよね。

映画監督や文学者は、人間の心理に敏感である必要があり、言葉へのセンスも必要です。自閉症が言語コミュニケーション系の障害で、他人の気持ちを理解しにくいという枠組みをそのまま当てはめると、矛盾があるような気がしますよね。



この本が根拠にしているのは、アスペルガー症候群のこのような特徴です。

 (自己中心的な)常同性、固執性、偏執性。精緻さ、ネバネバ。凝り性。

こだわることがストレスにならない。自分がこだわったテーマを根気良く深めていくことが、苦痛ではなく、むしろ喜びであり、寝食を忘れて没頭することができる。いや、没頭してしまう。。

それが、アスペルガー系人間らしい、とらえられています。なるほど。

映画監督や文学者は、こだわる対象が人間関係や社会問題であっただけだということになるのでしょうか。確かに、映画監督の中には、スタッフや俳優たちとの現実の人間関係の取りかたが独特の人がいて、周囲が振り回されている場合もあるように聞いています。文学者も、現実世界では偏屈な人も多いです。


だとしても、文学や映画では、深い人間理解が必要なはず。自閉症というのはヒトよりモノが好きな人種だという言い方がされることもあるのに。

この点について、この本では、自閉症には哲学的な才能があると言っています。物事の真実を、人から学ぶのではなく、自分の力で掴み取っていく力があるのだそうです。

ハンス・アスペルガー博士1965年東京講演の一節が引用されています。

「知的障害をもっていない自閉的児童の言語と思考は、何か独創的なもの−中略−これらの子どもは、大人から聞いた相当に使い古された日常言語を学ぼうとしません。明らかに他者から聞き取ったものではない、新しい表現を統合失調的な世界構築のように作り出します。それらの表現は、時に非常に的確なものであったり、時にはむしろわかり難いものであったりします」(3ページ)

織田信長について描かれた漫画(本の後半は漫画になっています)の中では、こんなことも言っています。

アスペルガー症特有の言動は周囲に反感を買う面もありますが、裏表のない言葉は時として物事の真実を突き、多くの人に共感されることもあります。アスペルガー症の言動をただKYとして見るのではなく、その内容に含まれる事柄を紐解くと、案外真実に当たるのかもしれません。


現実の人とのかかわりに困難があるにも関わらず、いや、困難があるからこそ、人間社会を含めた世界全体をまっすぐに、自分だけの鋭敏な感覚でとらえて自分の言葉で理解しようとする人たち。それが、アスペルガー人間。

だから、文学や映画にのめりこむ、芸術に没頭する。宗教を極めようとする。

映画監督や文豪がアスペルガー症候群であっても、決して不思議ではないし、哲学者、芸術家、宗教家にもたくさん当事者がいるのかもしれません。もしかしたら、政治家や評論家や俳優や運動選手やタレントといわれる人たちにも。



よくみると、本の題名は<障害>とも、<症>ともつかない、<アスペルガー>となっています。本文の中にも、アスペルガー系人間とか、アスペルガー系キャラクターとか、さまざまな表現がとられています。特にそれらの用語が使い分けられているのでもなく、診断名に関係なく、アスペルガー症候群的なタイプの人間が、世の中で才能を生かしてたくさん活躍しているということを言いたいのだと読み取りました。障害というよりむしろ個性なのだと。

特異的ではあるが、独特の才能を持っていて、周囲の理解と適切な教育があれば、才能を発揮し、独創的な仕事をする可能性があるひとたち。


この本では、アスペルガータイプへの理解と教育の大切さ、環境を選ぶことの大切さを強調しています。

アスペルガータイプには、鋭敏な感覚、鋭い感受性がそなわっており、一方でなにかに没頭すると自分の疲労感さえわからないという過度な集中力もあります。刺激に対するキャパシティーのレベルを本人も周囲も理解すること、過剰適応して慢性疲労になりやすいという点を理解することが必要といいます。

学校での体験は、多くの例を引いて具体的に解説してありますが、実にさまざまの問題があり、学校が、彼らにとって決して生きやすい場所ではないことを示しています。受験などでは校風を見極めることも大事だし、いざとなれば、学校に行かない選択が必要なときもあります。学校で頑張っていることを父母が支えることで、心の強さが養われるので、家庭が本人の存在を認めエネルギーを蓄える場所になることが重要と論じた部分は心に残りました(38ページ)。



日本では現在、発達障害者支援関係の法律も整備されつつあり、学校でも特別支援教育が普及し、発達障害者向けの就労支援プログラムも増えつつあります。しかし、その中でのアスペルガー症候群の理解は、この本に出てくるような、<濃い>キャラクターを持った、異色だが才能と魅力にあふれた人たちというものではありません。どちらかというと、不気味で何をやりだすかわからず、単純作業を嬉々として繰り返すおかしな人たち、というのに近い理解の仕方がされている場合も多いのではないでしょうか。一生治らない脳の障害で、就労は望めない結婚できないとか、子どもが小さいうちからそこまで追い詰められている家族の方や、自分を卑下する当事者、認知や感覚が<異常>といわんばかりの解説をする支援者。

そのような理解の仕方をしている限り、文豪や高名な政治家や、人気のタレントがアスペルガー系であったとしても、公表することがためらわれたり、名指しすると名誉をおかされたといわれたりする結果になるでしょう。

でも、もしかしたら、同じ人物についてでも、「見方」を変えれば、違う側面が見えてくるのではないでしょうか。

発達障害を持つ人間との付き合いの端初は、「見方を変えると相手がわかる」というマインドをもつものでなければなりません。(54ページ)


じつは、この、「見方を変える」ということが、とても難しいのです。それは、定型発達寄りの人が普通の育ち方をしていればいるほど、難しいように私には思えます。自分が体験していない感覚を理解することの難しさ、体験していないことを想像することの難しさは、人類の大きな課題といってもいいのではないでしょうか。


この本じたいは、日本の出版物の中で、アスペルガー症候群を解説したものとしては、異色の部類になるように思います。でも、私の中では、こちらの<アスペルガー>の方が、より生き生きと、本当の当事者たちを描いているように思いました。表現力が弱く内面を主張しないタイプのアスペルガー症候群の方も一定数おられますが、実は、彼らの能力を見誤り、引き出せずにいるのかもしれません。


漫画はほのぼのとしたタッチでほっこりできます。描いた方もアスペルガー系ということです。
このブログで以前とりあげた、良寛のエピソードも出てきます。
是非ご一読を。








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