☆レビューのレビュー(その4)☆

とうとう40冊読みました。

ブログを始めた頃は週1回更新で1年50冊読めるかなと思っていたので、ペースとしては少し遅いです。でも、40冊読んだことで何かが見えてきた気がしています。

ここ最近の10冊を読んでいる中で、思い起こしたことがあります。

ブログを始めたばかりのときにに読んだ、日高敏隆著『人間は遺伝か環境か?遺伝的プログラム論』で学んだ、成長するということについてのくだりです。
>>遺伝か環境か(2010/8/19)
その記事のなかで、私がまとめた部分をもう一度抜き書きしますね。


 成長するということは、遺伝的にプログラムされた筋書きを具体化していくこと、
 環境が整わなければ、プログラムは具体化されないまま取り残され、
 成長は未完成に終わるということ。


 学習して覚えることだから遺伝ではないというのではなく、
 何を学習するかというプログラムが、遺伝していて、
 それを、環境の中から無意識に選び取って学んでいくことで、
 遺伝した内容が現実に具体化されるということ。

人間関係のとりかた(社会性と言い換えてもいい?)は、遺伝的にプログラムされているのではなく、<それを人間の群れ(家族や集落)の中で学ぶ>ということが、プログラムされているのだということでした。

環境が整わなければ、そのプログラムは機能しない。現代の世の中は、人間の子どもがプログラムどおり社会性を学んでいける良い環境とはいえない、という話でした。



自閉症アスペルガー症候群は、100年ほど前から研究され始めた特徴的な子どもたちですが、その原因が出生前=<生まれ>にあるのか、育て方や環境=<育ち>にあるのか、議論がすすめられてきました。

生まれつきの脳の特徴があり、感覚(視覚、聴覚、嗅覚、触覚など)が標準的な人とは異なり、能力の発達の仕方の速い部分と遅い部分が混在している、というところは、<生まれ>の部分。
読字、書字、算数などのLD(学習障害)とも重なる部分です。

これを、杉山登志郎医師は、『発達障害のいま』のなかで、「発達凸凹」と呼んでいました。
>>発達凸凹とトラウマ(2011/9/12)
そして、<育ち>の部分として、クローズアップされてきたのが「愛着」の問題。

   人間は乳幼児期に、養育者にくっつき安心する『愛着=アタッチメント』という官能的な経験をすることで、自分というものの基礎をつくる


虐待を体験した子どもの多くが、この「愛着」の障害のために、人格をうまく成長させることができず、人との関係を学んでいくことの困難を持つことになっている現状がありました。そして、驚くべきことに、それは脳の発育障害となって現れ、脳の画像診断で確認することができるのでした。(杉山 115ページ)

このことは、虐待以外の不適切な養育条件、虐待ではないにしても家族がうまく機能していなかったり、近所や親戚から孤立していたり、あるいは、学校や塾の不適切な対応などによっても、同じような発育の障害が直接的に現れるかもしれないという可能性を示唆しているのではないでしょうか。

また、発達凸凹をもって生まれた子どもにとっては、おおかたの子どもが適切と感じる環境でも、独特な感覚のために、ひどい混乱の経験、こころの傷になり、それは、結果的に、虐待された子どもと似た状況になるということ。(杉山 142ページ)

そうなると、「社会性の獲得の遅れ」として100年間観察されてきたものは、<生まれ>よりもむしろ、<育ち>の問題 の可能性が出てきます。


杉山氏によると、1970年代までは、自閉症はとてもまれなケースと考えられていたのだそうです(杉山 29ページ)。日本で1歳半検診が始まり、似たような赤ちゃんがごろごろいることがわかったことで、自閉症スペクトラムということを考える新しい時代がはじまったということです。

これは逆に言えば、1歳半の時点で<見た目自閉症ぽい>子どもが、すべて発達障害になるのではないということを示唆しているといえるのでしょう。適切な養育環境に恵まれた場合、そのような子どもは、いつの間にか上手に成長していってしまい、才能を開花させ、むしろその独特の感性を生かして世の中に革新をもたらすような人になるのでしょう。その意味では、最後に読んだ本『漫画でもわかるアスペルガー』で見た<アスペルガー人間>は、発達凸凹ではあっても発達障害ではありません。
>>あの文豪、あの映画監督もアスペルガー症候群!?(2011/9/21)

また、杉山氏の大事な指摘で紹介しそびれてたことなのですが、
2011年現在の日本で流行している<大人の発達障害>という概念は、社会性の発達の遅れの上に精神疾患が乗っかった形のものを未整理のままごちゃごちゃにしている ということです(杉山 160ページ)。

今の日本の子どもの<育ち>の環境を考えたら、これらの<大人の発達障害>をひきおこす社会性の遅れや心の傷のすべてが、生まれ持った発達凸凹に起因するものだとは、とても考えにくいと思います。

1歳半検診で「自閉症ぽい傾向」と言われて、その子が将来今話題の<大人の発達障害>になるのだとストレートに考えてしまう親がいたら、これは、全く、全く的外れな、気の毒な話です。


本来の意味での<大人の発達障害>すなわち発達凸凹として成長した人たちの多くは、そこら辺にごろごろいて、普通に働いているのでしょう。アイデアマンだったり、超人的に手先が器用だったり、おそろしく博識だったり、時には周囲の反対をものともせず正義を貫くヒーローだったりすることもあるでしょう。

でも、そうなる可能性があったはずの人たちが、成長につまづき、つぎつぎと精神疾患にかかるような状況が、今の日本にあるのだとすれば、

社会全体が、人間の育ちを困難にさせている。なにか大きな、多分構造的といえるような問題があるのではないか。

と、私には思えてきました。

本当にそうなのか、そうだとすればそれは何なのか。考えていきたいと思います。


私のこのブログは、いろいろなジャンルを結びつけることで見えてくるものを探ることを目的にしています。これからも乱読多読、コツコツと読み続けていきます。

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