<番外編>何を学習するかが遺伝している

関係性の発達を扱った本を2冊読みましたが、読んでいて思いだしたのが、
このブログのずいぶん最初の方で読んだ、
人間は遺伝か環境か?遺伝的プログラム論 (文春新書)』(日高敏隆)です。
(→記事へ

鳥のひなを親鳥と隔離して育てるとさえずりを覚えないが、他の鳥をあてがっても別のさえずりは覚えない。何を学習するかだけが、遺伝している。
遺伝的に決まっているのは予定表だけで、プログラムを実行していくのは環境である、というような内容でした。

人間は社会の中で育つようにできていて、環境が整わなければ遺伝的な特質を開花することができないのだ、と。


これまでの教科書的な発達心理学の理論では、子どもはガラスケースに入れておいても勝手に発達してしまうような印象を受けます。誰がどんな育て方をしようと、時期が来ればしゃべりだし、算数ができるようになり、抽象的な概念を理解して大人になっていくように錯覚してしまいます。

でも、実際の子どもは周囲の大人と情緒的に交流し、伝えたいという気持ちを育てることではじめて言葉をしゃべりだすのであり、たくさんの年長の人間との暖かい交流を通して学習し社会の一員となっていくというのは、子どもを育てたことのある人なら当然だと思うのではないでしょうか。

人間関係というものは年月の積み重ねによって育まれるもの、例えていうなら漬物のぬか床のようなものじゃないかと思います。大人の中にも情緒的交流が豊かに育まれている社会の中ではじめて子どもはすくすくと育っていけるといえるのかもしれません。
そう考えていくと、現代の子育て事情には厳しいものがあります。


育てる者への発達心理学―関係発達論入門』(小倉)(→記事)には、お母さんとだけうまく行っていない例が出てきましたが、なるほどと思ったのは、この例であっても医師によって自閉症と診断されていたと記述されている点です。自閉症の診断は子どもの状態を診断基準に当てはめることで可能です。原因を問わずに診断できるのです。

しかし、自閉症の定義としては環境要因によるものは含まないことになっているので、これは本当は自閉症じゃなかった、ということになります。
ややこしい話です。

しろうとだから思い切って言いますが、
診断のやり方じたいに大きな矛盾を抱えているように見えます。


自閉症の関係障害臨床―母と子のあいだを治療する』(小林)(→記事)では、注意深く努力して母子関係を作ることで改善していく例を見ました。この子どもたちは生まれつきの感覚の過敏性を持ち、外界の関係のとりかたの最初のほうでつまづいてしまったのだと考えられています。

適切な療育を行うことでそのような育てにくい子どもとも交流の回路をつなぐことができ、その子が本来持っている遺伝的な素質を開花することができたとみなすことができるように思います。

となれば、似たような過敏性を持った子どもでも、たまたま環境がうまくいった場合はたいした問題を起こさずに育っているのだと考えられないでしょうか。

自閉症の生まれつきの素因の中に、言葉を覚えられない素因や社会性を獲得しにくい素因というようなものを想定するのはおかしいということになります。

遺伝しているのは、何を学習するかというプログラムだけだからです。


自閉症の関係障害臨床』(小林)でも自閉症成因論について論じた部分があります。器質因と環境因の複雑な絡みあいによるものでどちらも特異的な要因ではないのではないかと書いています(pp.277-278)。生まれつきの特別な素因でもないし、特殊な育て方のせいでもない、さまざまな条件が絡み合ったときに自閉症という状態が出現するのだと。

私はこの見方にかなりの共感を覚えます。

おそらくその条件の絡み合いは何通りもあって、今後分類が可能になっていくかもしれません。今の段階では、結果としてそのような状態になったものについている名前が自閉症であるというそれだけのことなんだと思います。

自閉症が一生つきまとう遺伝的な欠陥であるかのような理解のしかたはもうしなくていいように思います。その代わり、偶然が積み重なった事故のようなものだと理解できるかもしれません。
それはそれで重たい現実だけれど、より正しく理解することによって対処のしようがあるかもしれないです。
 



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