<番外編>科学的理論とつきあう知恵

50歳を間近に再び学生をやっています。今期は『臨床心理学特論』の講義を聴いているのですが、

うつ病気分障害)について、教科書にこういう記述がありました。

原因不明の脳機能変調による典型的うつ病をはじめとして、脳血管障害の後遺症として現れる血管性のもの、慢性的な過労やストレス蓄積の結果として生じる疲弊性のもの、苦痛な体験の反応として起きる適応障害型のもの、パーソナリティ傾向や認知の偏りから生じるものなど、多彩である。原因がなんであれ、症状がそろえば「気分障害」であるが、治療や援助にあたっては発症状況に応じた個別の配慮が必要である。(放送大学教材『臨床心理学特論』斉藤高雅p.54)。

ここにも、精神科領域の診断名が、原因ではなく、症状によって付けられていることが端的に示されています。(→参考記事

診断名をなんらかの原因と単純に結びつけて、同じ診断名なら誰でも同じ原因だと考えるのは「しろうと理論」だということがいえるのだろうと思います。私も長いこと悩みました。

原因 → 結果 という因果関係の中には、わかりやすい、はっきりしたものもあります。水道に水が引かれている場合、蛇口をひねれば水がでます。お金を入れて販売機のボタンを押せば、切符や飲料水が出てきます。

そういうはっきりした因果関係を、人間はどうしても求めてしまうという性質があるのかもしれません。

よくある科学的な理論に、「○○の人は△△になりやすい傾向がある」というものがあります。「傾向」という言葉が使われているのがポイントで、これは因果関係ではなく、相関関係を示していると思われます。
たとえば、身長と足のサイズには相関関係があります。身長が高いほど足は大きい傾向がありますが、共通の要因を持つ可能性はあるとしても、身長が高いことが直接に足の大きさに影響しているわけではないでしょう。身長のわりに足が大きい、などの例外も、個別に見ていけばかなりたくさんあります。
相関関係がある、ということは、科学的な証拠と見なされますので、科学的理論としては成り立ちます。でも、そこから推測されている因果関係の根拠については、まだ明らかでないものが多く、また、例外も多数あるのが普通です。

また、薬の効用で、「××病には○△薬が効果がある」とされるのは、その薬を飲んだ患者のうちの多数に効果が見られたことを指しています。7割の人に有効だと認められ効果があると見なされた薬であれば、3割の人には効かないということです。逆に、科学的エビデンスが認められないといわれている薬が、実は1割の患者には劇的に効くということも在りうるわけです。

科学的という言い回しが持つ限定的な意味をきちんと理解していれば、単純な因果関係ではないということがしろうとにも理解できます。上手に付き合うことが大事なのだろうということです。

科学的な理論を単純な因果関係だと思いこむことは、数々の問題を引き起こしているように見えます。
病気について例にとれば、こんな感じです。
・絶望   ○○病なので、もう回復の見込みは無い。など。
・責任転嫁 ○○病になったのは、△△のせいだと恨みを持つ。
         または過去を後悔し続け、前向きになれない。
・決め付けや偏見 ○○病になったのは、△△だからなのねー 
      または、△△だから必ず○○病になるに違いない
      という周囲の冷たい視線
・依存   ○△薬を飲んでいるから絶対治ると過信する


「科学的」のしくみを知れば、当たり前に例外があることに気がつきます。理論はあくまでも平均値であり、理論と違うことが個別に起きるのは、奇跡でもなんでもないんです。そこにまっすぐ希望をつなげ、自分の生き方を選んでいくのが個々のありかたなのだと思うのです。
  

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