人類の伝統的な子育ては一つではない 

 ** 育児と日本人  正高信男 **

人間の赤ちゃんは、母親の腕に抱かれて育てられ、やがておすわり、はいはい、つかまり立ちを経て、歩き出すというのが、まあ定番ですよね。

寝かされていた赤ちゃんが、不安になって泣き出すと、お母さんが抱き上げてあやす。母親の体温を感じる皮膚の接触が子どものこころの発達に良い影響がある、ということに、なっています。

この本には、そのような常識とは全く違う、”スウォドリング”swaddlingという育児方法が紹介されています。乳児を布でぐるぐる巻きにして寝かせたまま育てるというのです。
 

育児と日本人

育児と日本人


乳児を布でぐるぐる巻きというと、特殊な民族の特殊な文化のような印象を受けます。が、この本によると、世界中のかなり広い地域で伝統的に行われていたことがわかっているのだそうです。南北アメリカ大陸の一部やアフリカの一部、ヨーロッパやアジアの広い地域、その中に日本(特に東部)も含まれます。日本でも、ところによっては高度成長期の少し前ぐらいまで、生後3〜4ヶ月までの子どもを布で包んで手を動かせないようにして、ひもで結わえるようにしていたというのです。日本では首の据わった赤ちゃんを農作業のときなどにカゴに入れておく風習があったのは知っている方もおられると思いますが、それとは区別しています。乳児を手足ごとぐるぐる巻きです。

それとは別に、伝統的にスウォドリングを行わない、母子が肌を密着させて抱いて育てる育児方法が伝統的に行われている文化圏があるといいます。その代表がアフリカのサン族なんだそうです。
サン族の母親は生後2年ぐらいの間、子どもを腰の辺りに抱きかかえたままなのだそうで、そう言われればアフリカの親子の映像を見るとたいてい子どもを抱えた母親が写っているという記憶があります。

この本では、ふたつの文化圏では、子どもの育て方にさまざまな違いがあることが論じられています。
 
スウォドリングをする文化では親類ぐるみで大家族になって暮らしていて、母親以外の家族が頻繁に子どもに言葉がけをし、みんなで構ってあげています。それに対して、抱っこの文化の代表のサン族は、狩猟する男性と子守りする女性という役割分担があり、数家族で固まって移動し、離れたり集合したりするのだそうです。抱いて育てる文化では母親はひんぱんに乳を与えますが、スウォドリングの文化では授乳の回数は少なくて、変わりに一回の授乳の量が多く、長い時間子どもに関わるのだそうです(p.8-14)。

ぐるぐる巻きにされてスキンシップが少ないからといって、子どもは大切にされていないわけではなく、大家族の中で母親を含めた多くの大人が関わりながら温かく育てられているということのようです。
 
日本の伝統的子育て、というと、母親が丁寧に育てるというイメージがありますが、この本によると、そのような育児が日本で普及したのは昭和の時代であって、それより前はスウォドリング型(=大家族で育てる)子育てが伝統的だったと書かれています。ぐるぐる巻きがどの程度ポピュラーだったかは別として、戦前期までの農業や商売人などのあり方をイメージしてみても、生業と家政の区別ははっきりせず、大家族で仕事をする多数の大人たちの中で子育てが行われていたというのは間違いないでしょう。子どもを産んだ若い女性が子育てに専念できるような状況はなく、むしろ労働力として期待されていたと考えたほうがすんなりいきます。
 
では、なぜ、日本の<伝統的>子育てが母子密着というイメージが形成されてしまったのかということを、この本では戦後のさまざまな事情を踏まえて分析しています。
占領軍により、「文化とパーソナリティ」理論が入ってきて、「自立した個人」を育てるためには、母親との接触を制限し人工栄養にし、むやみに抱き上げないのが良いとされた時期があったこと(p.115-116)
1970年代の半ばごろ、日本人らしさの議論が高まり、欧米から「愛着理論」が入ってきて、濃厚な母子交渉が正当化されたこと(p.122-124)
この間に、日本の産業構造が変わり、大量のサラリーマンが作り出され、専業主婦が生まれたこと(p.125)

ここで出てきた「愛着理論」とは、以前このブログで愛着障害について取り上げたとき(→記事)に出てきた、ボウルビィの愛着理論です。この理論がでてきたとき、根拠として、サン族の抱っこ育児が引用されたということがこの本に出ています。1970年代に、サン族の民俗学的な研究が盛んに行われ、「人類本来」の伝統的な子育てはこれだ、と言われるようになったといいます。(p.123-124)
 
日本はもともとスウォドリング型だったのに、いったん<科学的>な育児を取り入れて、再び日本的な育児に回帰しようとしたときに、抱っこ型のイメージにすりかわってしまった、というような解釈ができるかと思います。母親が子育てに専念するというような文化は、本来の日本にはなかったものなのに、「男は仕事、女は家庭」が古くからある日本の伝統であるかのような錯覚が生まれてしまったのは、研究者の本意ではなかった、と書かれています。良妻賢母というイメージは明治の終わりから戦中期までの短い間につくられたどちらかというとナショナリズムと結びついていたものなのに、専業主婦が増えた1970年から1990ごろにかけて復活してしまったと。(p.126−127)


母親を中心とした育児が推奨されたという1970年代から、40年ほど経ちました。男性の多数がサラリーマンであることは変わっていません。女性の働き方は徐々に変化しているようにも見えます。いずれにせよ、日本の本来の伝統的な、大家族で多くの大人が子どもに関わっていくというような育児は廃れてしまいました。変わっていく時代の中でどのような子育てのあり方が望ましいのか、社会全体が迷い続けているようにも見えます。

とりあえず、母親が育児に専念するというのが、たったひとつの人類本来の育児の姿ではないということを確認すると、ひとつ高い視座から育児というものを捉えることができるように思います。ボウルビィの愛着理論も絶対ではないし、母親のありかたもひとつではないわけです。伝統的育児にもいろんなあり方があるというのを議論の出発点として、これからどうしていきたいのか、考える必要があるように思いました。
 

 


( 『育児と日本人』 正高信男/著  1999年11月 岩波書店




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