先天性の相貌失認は自閉症スペクトラムだけに限らない

　　　＊＊　心の視力　脳神経科医と失われた知覚の世界　オリバー・サックス（アメリカ）　＊＊

オリバー・サックス氏は、脳神経科医で作家、映画『レナードの朝』の原作者である他、『火星の人類学者』でテンプル・グランディンを紹介したことでも知られる方です。この著作は特に視力についてのいくつかの事例が紹介されています。その中に、彼が小さいときから、人の顔が見分けられない悩みを持っていたことが書かれていました。

相貌失認（そうぼうしつにん）です。

私は発達障害の勉強をはじめてからこの言葉に出会いました。以前このブログで『天才と発達障害』という本を紹介したとき、ルイス・キャロルが聴覚優位、相貌失認であるという内容を学びました（→関連記事）。先天性の相貌失認は発達障害、特に自閉症スペクトラムの人が持つ特徴の一つだとばかり思っていたのですが、どうも、違うみたいです。

心の視力―脳神経科医と失われた知覚の世界

オリバー・サックス氏は、「特に脈絡のないかたちで人に会うと、たとえ五分前に一緒にいた人でも混乱してしまう」（p.101)と書いています。自分の誕生パーティでさえ、招待客に名札が要るほど人の顔が覚えられず、「ぼんやりしている」と非難されてしまうのだそうです。

しかし「内気」「引きこもり」「社会性の欠如」「変わり者」はては「アスペルガー症候群」など、さまざまな言われ方をするが、そのほとんどが顔を認識できないことの結果であり、それを誤解されているのだ。（p.102)

彼が、相貌失認と自閉症スペクトラムを全く別なことと認識していることが読み取れます。

相貌失認と地理失認（空間の地理をイメージできず、道によく迷う）は同時に起こることがよくあり、関係する脳の場所が近いのだろうと言われているようです。事故や病気で高次脳機能障害を負った人にもこの問題が起こることがあり、紡錘状回という構造が特に関係していると考えられているようです。サックス氏の場合は実兄も同じ悩みがあり、家族性の先天性のものと結論づけています。

先天性相貌失認症（発達性相貌失認症とも呼ばれる）はよくあることなのに、ほとんどの神経科医に全く認識されていないといいます。顔の認識の力は正規分布していると考えられ、少なくとも人口の２パーセントは深刻な先天性相貌失認症であり、それと同じ数だけの、「超認識者」、一度見た人の顔を確実に覚えられる人、がいると考えられるといいます。それほど深刻でないが顔認識が苦手な人は10パーセントと書いてありますから、小学校の教室40人とすると１学級に4〜5人の相貌失認がいることになります。でも、彼らは周りとの違いに自分から気づくことはあまりなく、自覚することなく大人になっていくことになります。「生まれたときから色覚障害がある人が、眼科医にそのことを訴えないのと同じだ」（p.124)。

夫、妻、子ども、先生、同僚を見分けられない人たちは、いまだに公の認定や一般の理解を得られていない(p.126)

もちろん自閉症スペクトラムと併存していることはじゅうぶんあり得るし、実際社会性を学ぶ上でのハンディにはなるのかもしれません。でも、オリバー・サックス氏のように中程度の相貌失認を持ち、他の発達障害の傾向を持たない人もたくさんいると考えた方がよさそうです。彼らはおそらく周りの人から、動作が遅い、ぼんやりしている、頭が悪い、注意力の欠如、内気な性格、などと誤解されているでしょう。また、周囲が相貌失認に気がついたとしても、広汎性発達障害などと診断されてしまう可能性もあるように思います。

相貌失認は他の発達障害と独立して考えることで、よりその人に合った対応が可能なのではないかという気がします。

　
この本には、相貌失認の他、後天的に楽譜が読めなくなった人（ちょうど難読症が文字が読めないように）の例、後天的な失読症、立体視を失った人、そして、サックス氏じしんの目の腫瘍の闘病日記が収められ、最後に、後天的に視覚を失った人たちの心の中にある視覚イメージの話が載せられています。脳には可塑性があり、視覚を失った人たちの視覚イメージも変化していくのですが、何人かの経験をつき合わすと、まったく視覚の表象や記憶を失う人と、イメージの中ではっきりとした視覚世界を持つようになる人がいるらしいということが書かれていて、これも興味深かったです。
　

（　『心の視力　脳神経科医と失われた知覚の世界』オリバー・サックス/著　大田直子/訳　2011年11月　早川書房　THE MIND'S EYE by Oliver Sacks ）

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