<番外編>2E教育も能力差を前提にしているアメリカ流

久しぶりの番外編です。

ふたつ前の記事『アタマの良さにも個人差があると考える時代がやってきた』で、とりあげた、2E教育についてです。

記事の中で取り上げた本『ワードマップ 認知的個性―違いが活きる学びと支援』の中に、6ページだけですが、2E教育についての記述があります。英語では、
  education of twice-exceptional children
といい、この本の筆者は 二重の特別支援教育 という訳語を当てています。
発達障害のある子どもの才能の部分にも着目し、才能教育と特別支援教育の両方を行うものです。
アメリカでは、研究プロジェクトに指定された学校が主な拠点、モデルとなって2E教育がすすめられきたものの、当初、全国的な広がりは見せなかったといいます。全国最大規模の教員組合が啓発雑誌を発行したことから、教員の中でも関心が高まってきたのが2006年、とありますから、アメリカでも全国的な認識はこれからといったところのようです。

アメリカには才能児を認定して特殊な教育をするシステムがあります。アメリカらしく州によって認定方法も教育内容も違うようです(『認知的個性』7ページ)。障害児教育と才能教育は独立して別々にあって、専門家も別々にいます。この両方をひとりの子どもに適用するというところが2E教育の特徴なわけです。教員には両方の専門性が必要になるということになります。

ところで、本の記述の中に、バウムの3類型(2004年)というのがでてきます。(57ページ)
LD(ディスレクシア)の2E児を特性によって3つにグループ分けしたものです。
1)才能児として認定されるが、軽い障害を持つ
2)才能とLDの両方をもつが、才能児ともLD児とも認定されない
3)LD児として認定されるが、才能も持つ
第1のグループは、高い言語能力に対して綴りの不正確さなどが目立ち、中等教育段階ぐらいから努力しても成績が伸びないなどの問題がでるとされます。
第2のグループは、LDの弱点を知的に補って、見た目普通に見えている子どもたちで、成績もほどほどを保っているとされます。
第3のグループは、LDというレッテルのために、得意な領域や興味に注意を払われず、低い達成度を能力の欠如と捉えてしまう傾向があるとされます。
2E教育は第3のグループを対象としていますが、第1、第2のグループに対しても注意が必要といいます。それは、本人は努力しているにもかかわらず責められるので、やる気を失ったり、自分を守るために反抗的になったりするからだ、と書かれているのですが。。。。。

これを読んで、私は二つのことを思いました。

ひとつには、2E児といえども、<みんないっしょ>ではないのだということです。才能に恵まれ、障害は少ないタイプと、才能はあるが、障害がはっきりしているタイプとでは、対応の仕方に差が出るのは当たり前と、この論者は言っているわけですよね。また、見た目普通にやっていて教室で目立たない子どもたちは、2Eがあっても放っておかれる、とこの論者は言っています。
また、暗黙の前提として、才能があって障害が全くないタイプはもちろんのこと、障害だけがあって才能はないタイプというものが存在することが示唆されているように思います。
専門家の立場としては当然なのかもしれませんが、なんだかシビアだなという感想を持ちました。
この章の執筆者(野添絹子)も結論として、アメリカのように集団内での相対比較によって才能を特定するのではなくて、個人内比較での高い能力を才能と捉えることを提案していました。日本的な感覚では、<才能>も<障害>も、一律の尺度でばっさり決められてしまうのは、なんだかよろしくない、<ひとりひとり>を大事にしていない感じがするんですよね。

そのことを一歩進めて、もうひとつ思ったのは、欧米と日本で捉えている<ひとりひとり>の違いです。
キリスト教圏では、神が与えた不平等をそれぞれ受け入れ、神のために各々それなりの働きをするよう求められているように思います。不平等である、優劣があることが<ひとりひとり>なのです。
日本人のわたしたちは、<ひとりひとり>は色合い、個性の違いであって、天から与えれたものの重さは総合的には<みんないっしょ>で優劣はなく、和をなして仲良くやっていくことが重要視されているように思います。
このあたりが、日本では才能教育という考え方が出てこないひとつの要因だろうとも思います。
アメリカの2E教育には学ぶことも多いけれど、日本に直輸入するわけにはいかないのだろうと思います。この本に書かれているような「認知的個性」の考え方がひとりひとりの子どもの色合い・個性をきちんと描き出して、誰が見ても同じ評価ができる尺度が確立されれば、日本らしい<ひとりひとり>に合った教育ができるのかもしれません。2Eがありながら普通の成績が取れるために何の対策もとられていない子どもたちにも、学びにくさは当然あるわけで、それらがカバーされてはじめて日本らしい2E教育といえるのだろうと思います。

うーん、日本とアメリカでは考え方、文化が違うんだなぁと改めて思った次第でした。

(『認知的個性 違いが生きる学びと支援』 松村暢隆・石川裕之・佐野亮子・小倉正義/編 2010年4月 新曜社




ブログランキングに参加しています。記事が面白いと感じられた方、このブログを応援してくださる方は、下のバナーをどれかひとつ、クリックしていただけると有難いです。
にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ 一般書・実用書へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログ 特別支援教育へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ