遺伝か環境か
発達障害、とくに、自閉症については、遺伝か環境かということについて、ややこしいことになっているように思います。
実際の自閉症の人の家族を見ると、濃い薄いはあるものの、自閉症スペクトラム寄りの性格特徴を持った人が多いのは、経験的にあるような気がしますが、
じゃあ、これが、遺伝なのかというと、はっきりしたことはわかっていないわけで、最近になっても、化学物質や予防接種、ネット社会などが原因とする説が次々と出ています。
また、児童虐待などの生育条件の悪さによって、ADHDや高機能自閉症に良く似た脳機能の発育不全が起こるという説も良く見聞きします。
- 作者: 日高敏隆
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/01
- メディア: 新書
- 購入: 3人 クリック: 37回
- この商品を含むブログ (18件) を見る
著者は、動物学者の日高敏隆さん。日本の動物行動学の草分けとされる方のようです。
発達障害を含めた、個人差が遺伝かどうかということを問う前に、まず、遺伝しているのは、何なのかということが、この本の問いです。
たとえば、カエルの卵から、おたまじゃくしが生まれ、やがて足と手が生えてカエルになる。このことは、遺伝しています。
モンシロチョウの幼虫はアブラナ科の葉っぱしか食べません。このことも、遺伝しています。
では、ウグイスのような鳥がさえずり方を学ぶのは、遺伝でしょうか環境でしょうか。
実験すると、ひな鳥を隔離して親のさえずりを聞かせずに育てると、成長してもさえずることができないことが、わかりました。それなら、他の鳥のさえずりを聞かせればそれを覚えるのかと試したところ、他のさえずりには全く無関心で、自分の種のさえずりだけに強い興味を示した、ということです。ということは。。。。
どの種類のさえずりを学習することになっているか、という、予定表だけが、遺伝的に決まっている、ということなんだそうです。そのことを、この本では、遺伝的プログラム、と、よんでいます。
成長するということは、遺伝的にプログラムされた筋書きを具体化していくこと、
環境が整わなければ、プログラムは具体化されないまま取り残され、
成長は未完成に終わるということ。
学習して覚えることだから遺伝ではないというのではなく、
何を学習するかというプログラムが、遺伝していて、
それを、環境の中から無意識に選び取って学んでいくことで、
遺伝した内容が現実に具体化されるということ。
前半で紹介されているのは、おもに動物実験から得られた、遺伝と環境についてのこのような考え方です。
後半は、その考え方を踏まえて、哺乳類であり霊長類である人間の成長について、論じてありました。
人間は、他の霊長類と比べても、かなりの大人数の群れを作って行動するので、ほとんどのことを、学習して覚えるようにプログラムされて生まれてくると考えられているようです。
どの年齢あたりで何を学習するかは、生まれたときから決まっていて、その時期に環境の中でそれを見つけると、自然と興味を持ち、自分から学習していく。
周りの人間の振る舞いを観察しながら、子ども同士遊びながら、また、近くの大人に気付きのヒントを与えれられながら、人間関係のとりかたを学んでいくことも、遺伝的プログラムのなかにあるのに、現代社会では、そのプログラムが具体化するために良い環境ではないのではないか、ということを、論じておられました。
人間の子どもは、たくさんの人、大人や子どもや年寄りや男や女や、いろいろな人がいる中で、ちゃんと育つように生まれてきているのに、核家族が小さく仕切られた家に住み、年齢で輪切りされた学校との往復だけで子ども時代を過ごすのは、大変困った状況だと。
大人数の群れの中で育てられないという環境の悪さで、人間が、遺伝的にプログラムされたとおりの(あるべき姿の)人間に育っていない。それが、現代の状況だとすると、
そのような環境の中で、私たちが書物やテレビやインターネットに興味を持つのは、生命の深いところからの衝動に動かされて、環境に欠けているものを補おうとしているのかもしれない、と、思いました。
さて、個人差や発達障害はどのように考えたらいいのでしょうか。
間違いなく言えることは、
遺伝だから環境ではないとか、環境だから遺伝ではないとか、
そういう単純な割り切り方は全く通用しない
ということのようです。
遺伝子を全部解読すればなんでもわかるとか、そういうことでもなさそうです。