20世紀の社会状況から発達障害を読み解く

  ** やさしい発達障害論 高岡健 **


著者は精神科医高岡健氏。

発達障害とはそもそも何なのか、どういうものと理解するべきなのか。
それをこの言葉が使われ始めた社会や経済の状況との絡みで説明しています。

やさしい発達障害論 (サイコ・クリティーク)

やさしい発達障害論 (サイコ・クリティーク)

読む前にまず、20世紀がどういう時代だったのかおさらいしたいと思います。若い世代(?)としてははまずここが難しいと感じたので。

第二次世界大戦が終わったのが1945年。その後1990年ごろまでは冷戦が続き、資本主義か共産主義かというイデオロギーの対立がありました。この本では、その冷戦期の中での、1980年ごろのアメリカやイギリスの社会政策の変化に目を向けています。
新自由主義(ネオ・リベラリズム)という考え方で、アメリカのレーガン大統領、イギリスのサッチャー首相の政策に代表されます。
この、新自由主義が打ち出されるまでのアメリカやイギリスでは、経済政策として公共投資が重んじられ、福祉にたくさんの予算が充てられていました。しかし、1970年代の石油ショック等の影響もあって、緊縮財政、規制緩和国営企業の民営化など、国の予算を削る方向に政策が変わりました。同時に、この頃から、物資を大量生産する製造業中心の経済から、サービス業や専門産業などを中心とした経済に変わって行きました。コンピュータが普及しはじめたのもこの時代です。

本の内容に戻ります。

発達障害という言葉は、「知的障害を下敷きにして成立している」(p.13)といいます。本の内容にそって知的障害の歴史を整理してみます。
知的障害は、20世紀の初めごろからその概念が形成されました。
それまでの人類の歴史では、特にそういう人を区別しなくても問題にはならなかったというのです。1890年代から1910年代の先進国の工業化の時代、労働力と非労働力を区別することが必要になりました。知能検査が開発され、知的に低いとされた者は非労働力として隔離・収容されることになりました。
アメリカ等では、人権思想(公民権運動・ウーマンリブなど)の出現した1960年あたりから、彼らを治療する方法が検討され始め、染色体・代謝の研究、薬物・食餌療法などが導入されてきたといいます。
1990年代から現在にかけては、軽度の知的障害も含め、インクルージョンノーマライゼーションという動きのなかで語られるようになってきています。(p.18〜20)

この流れのなかで、自閉症という概念がどう生まれてきたかを見てみます。
ナチス・ドイツからアメリカに渡ってきたカナーが、施設に収容されている知的障害者の中から、社会に有用そうな子どもたちを選び出し解放しようとしたということが書かれています(p.31)。カナーが自閉症を論文発表したのは1943年で、戦時中のアメリカは労働力を必要としていました。
イギリスでは多少事情が違っていて、戦後、障害児は「教育の対象」と「教育の対象外」に分けられていたことから、教育可能な知的障害児としての自閉症が分離されることになったと書かれています。これもイギリスが当時好景気で豊かだったこと、厚い福祉政策が行われる基盤があったことが背景にあるといえます。
アスペルガー症候群高機能自閉症という概念は1981年にアメリカとイギリスでほぼ同時に登場しているのですが、これが社会に受け入れられていく1980年代は、新しいサービスや専門産業の時代で、他者の裏をかいたり言葉巧みにアピールしたり、臨機応変に振舞ったりできない人を区別していくことになっていったと言います。
この時代、新自由主義の政策により福祉予算は削減され、アスペルガー症候群高機能自閉症の子どもを持つ親たちは自助努力を求められました。
また、この時代に、知的障害者は施設からコミュニティへという流れがあり、受動型、積極奇異型などの自閉症の分類類型がが必要とされたということも書いてあります(p.38)。

多動、落ち着きのない子も知的障害と同じく、まず20世紀初めの工業化の時代に労働に適さない人たちとして抽出されたといいます。次に1950年代から60年代に、なんらかの脳の障害だろうということになりました。これは精神分析への批判から生まれた推論であって、レントゲンなどで確かめたわけではなく、見えないほど小さい傷ということで「微細脳損傷(MBD)」と言われました。
1980年代に、これらの子どもたちはLDとADHDへと分けられていきます。ここではアメリカの社会階層の差が関係していると述べられています。

このように、自閉症もLDやADHDも、アメリカやイギリスのある種の時代の要請によって、区別して対処する必要から出てきた概念だという説明がなされています。

この本ではそれぞれについて、日本の社会状況に当てはめて分析しています。
日本では知的障害者はまず「変質」と見られ、長い間病院や刑務所に閉じ込められ、「排除から解放を経て参加へという大きな世界史的流れを、日本は周回遅れでたどっている」(p.20)。なのに、バブル崩壊後の個人と社会の関係が問われる時代に学級崩壊や少年犯罪の問題がクローズアップされ、「知的障害を伴わない発達障害と軽度の知的障害への着目という点では、奇妙な先進性を形づくっている」(p.20)。
この本では、この「後進性と先進性の同居」を、新自由主義の輸入と関係づけています。ポスト・バブル時代の新自由主義の時代(小泉政権時代のことを指していると思われます)には、政府に援助を求めても予算が組まれず、「ただ障害という言葉だけが踊る危険性を、だれもが払拭することができないまま」(p.35)だと論じられています。

発達障害という言葉じたいは、アメリカにおける1970年の法律で、知的障害や神経疾患(脳性まひやてんかん)などへのケアを定めたときに出来たものなのだといいます。

こうしてみると、発達障害という言葉は、医学の言葉というよりも、福祉政策と不可分のサポートのための言葉だということがわかります。(p.13)

しろうとの感覚では、発達障害とは、なんらかの<異常>が、医学的にきっちりとした形で<発見>されて定義されたもののように感じてしまいがちですが、そうではなくて、その時代の必要に応じて、人々の中から分類され区別されたグループに名前がつき、医学的な根拠はあとからついてきているのだということ。国や時代状況によっては、その受け止められ方も、対処の仕方も、いやおうなく変わっていくものであること。この本からはそのようなことが読み取れます。

この本の分析はあくまでもひとつの見方かもしれませんが、発達障害とは何か、脳かこころか、遺伝か環境か、えんえんと考え続けてきた身としては、社会の要請から出てきた分類という説明はたしかにわかりやすい、「やさしい」と感じます。何か胸がすっとした思いです。

社会の要請とはもちろんサポートの要請であって、排除の要請ではありません。そのことは肝に銘じる必要があると思いました。



( 『やさしい発達障害論』高岡健/著 2007年12月 批評社 


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