日本の学校は「自転車に乗った人症候群」に冒されている?

    ** 「生きる力」をつけるドイツ流子育てのすすめ サンドラ・ヘフェリン ** 



外国の文化に触れると、発想が柔らかくなる気がしますよね。現実を概念で切り取ってくるやり方が違っていて、こういう考え方もあったのかと気がつくことが多いです。

著者は1975年ロンドン生まれのミュンヘン育ち。小学生の頃日本で過ごしたことがあり、大人になってからまた日本にやってきました。この本は日本語で日本人に向けてかかれたもので、10年ほど前に出版されています。

ドイツの子育てや教育と日本を比較して、感じたことをさらりと表現してあります。

ドイツといえば、第二次世界大戦では日本と同じく敗戦を経験し、最近はユーロ圏の中では経済的に安定した国として注目されています。生真面目で勤勉な国民性、職人に支えられた手工業がさかんだったことなど、似ているところもたくさんあります。どのように似ていて、どのように違うのか、興味があるところですね。


生きる力をつけるドイツ流子育てのすすめ

生きる力をつけるドイツ流子育てのすすめ


ドイツの小学校は4年生までで終わります。5年生からは、大雑把に進学コースと職業コースにわかれ、進学組はギムナジウムという小・中・高の一貫校に通い、卒業試験を経て大学へ。職業コースは5年で終えて美容師や大工、パン職人見習いなどになるレアールシューレと、その途中からより上級の職業学校にすすんでビジネスや福祉などを専門に学ぶハウプトシューレがあります。

10歳やそこらで進学か職業かの選択は早すぎるという意見もありますが、途中での針路変更はきくのだそうです。落第が多いので学年にいろんな年齢の子どもが混じっていることが多く、そもそも小学校に入る年齢も6歳か7歳かを選べるということで、年齢ではなく、自分の学びの進み具合に合った学年に属している感覚のようです。

ただし、この制度のために、ある種の職業差別のようなものが生まれているとも言います。学校には掃除の時間がなく清掃業者がやってくれるし、ギムナジウムには家庭科の授業がなく、掃除や料理などは教育のない人がすることだというような意識があるのだそうです。その点は日本の方が、生活の基本的なこと、食べものの栄養や掃除の仕方などの知識を教えていて良いと、この著者は言っています。


家庭でのしつけは、ドイツなどヨーロッパは「カップル文化」、日本は「親子文化」といっています。ドイツでは夫婦の生活が大事なので、子どもは赤ちゃんの頃から個室が与えられ寝かしつけられる。子どもはたいてい8時ごろに寝て、その後は大人の時間ということになっているのだそうです。睡眠はたっぷりとらせるのが良いとされ、子どもがいつも眠そうにしていると、親がだらしないと思われるそうです。

著者自身は、日本の添い寝やおんぶの文化が好きで、ゼロ歳から1人で寝かすのは親の身勝手のような気もするといっています。一方で、日本人は睡眠を軽視しすぎで危険に思うとも述べています。ドイツ人は大人になっても、睡眠をとても大切に思っているようです。

また、新鮮な空気を吸うこともリフレッシュには欠かせないと考えられていて、土日はもちろん平日でも長時間散歩する習慣があるのだそうです。赤ちゃんでも、0歳からお天気にかかわらず、毎日30分から1時間の散歩に連れだされるといいます。

学校は、上級生になっても午後1時ごろ終わるそうなので、宿題や遊びは午後にして、夕食のあとはすぐ寝る準備というのが子どもの一日。部活はなく、10代になるとダンススクールに通い、そこで彼や彼女ができることもあるといいます。

時間を守ることと、整理整頓は小さいうちから厳しくしつけられるようです。本に折り目をつけたり書き込みをするのもだめ。ドイツ人は日本人よりずっと几帳面な感じがします。


繰り返し出てくるのが、日本の集団主義と横並びの平等主義についての違和感です。朝礼やホームルームは、ファシズムのイメージがあるといいます。大きい声で「ハイ」と返事をさせるのも同様。ドイツでは以前使われていた、命令に従う意の"Jaowl"ヤウオールという返事の言葉は死後となり、人の意見を聞くだけでなく自分の意見を言えることが大事とされているといいます。

子どもの進路についても、なんでもできることよりも自分らしい才能を見つけていくことを親も学校も考えていて、日本のように他の子と比べて競争させたり、苦手を克服する努力を求められたりということは少ないといいます。

また、子育てでは、良心"Gewissen" ゲウイッセンをもつことが大事に教えていて、誰が見ていなくても、裏表なく正直に生きることを第一にするのだそうです。けんかをしてはいけないという言いかたをされることはなくて、けんかになったら、幼稚園でもしっかりお互いの言い分を聞き、きちんと討論させて解決するし、それでも決着がつかない場合は、しばらく距離を置くようにさせるのだそうです。無理やり仲良くさせるというやり方はしないといいます。


そういう観点から、著者は、日本の学校、とくに中学や高校で、制服などの規則が多く内申書のために無理をしなければならない事情を見て、静かな怒りを覚えるといいます。

本の学校で「よい子」とされているのは、先生の言うことをなんでもおとなしく聞き、その場の和を崩さず、自分の本性を見せない子どもだ。(33ページ)

ドイツのティーンエイジャーは派手な格好をして自己主張することで大人になっていくし、それを学校も認めているのだそうです。反発は大人になるためのステップで、これを通過することで自立が獲得されると著者は考えています。日本の女の子は、大人になる段階を踏めず、少女からそのままおばさんになる感じがすると。

学校に支配される子どもたちはそのストレスを隣の人に返し、それがいじめの問題につながっていると著者は見ています。上(先生、学校)からやられたことをそのまま下(同級生や弱い人)にやり返すのは、「自転車に乗っている人シンドローム」Radfahrersyndoromラードファーラシンドロームだと。自転車に乗っている人は、何かに怯えるように頭をかがめ、ペダルを下へ踏みつけているから、そういうのだそうです。

ドイツの教育現場ではこのような状態は避けるべきとされ、予防する努力がなされているものだといいます。なのに、この悪い状態が、日本では学校によって行われていると著者には見えているようです。日本の子どもたちは、大人になる機会を学校によって奪われていると。そして、そのやりかたには、古きファシズムの流れが見え隠れしていると見ているようです。

 
日本もドイツと同じく、かつてファシズムといわれるものを経験し、民主化された歴史を持つ国です。でも、その民主化の道のりは、かなり違っていたのかもしれません。ファシズムに対する考え方、感じ方も違います。

彼女の見え方はひとつの見え方であって、いろんな反論があると思いますが、当たり前に受け止めていたことを考え直すきっかけにはなると思います。

ファシズムかどうかは別にして、大人も子どももだらだらと一日中集団と共に過ごすことが習慣になっている日本人と違い、ドイツの人は、集団の中にいる時間と、家族との時間、自分と向き合う時間を上手に切り替えているという印象を受けました。

また、睡眠と散歩によってリフレッシュし、効率を上げるという考え方はとても健康的だと思います。日本では眠気と戦うためにコーヒーやタバコを濫用するのは当たり前、数年前までは24時間戦えますかというCMでドリンク剤が大ヒットするような世の中でした。ドイツ人にしてみれば、日本人は全員カフェイン依存症に見えるかも知れないと思いました。



最後に、この部分を引用したいと思います。

日本人が子どもに言う「責任」とは、イコール「人に迷惑をかけないこと」である。欧米人(ドイツ人)には何が迷惑になるのかの幅がものすごく広いように感じられる。たとえば自分1人だけ違うことをするなど、ドイツ人から見たら何でもない行動が、日本人にとっては「わがまま」や「協調性がない」となってしまうのだから、同じ単語でもこの違いに驚く。(5ページ)

おそらく、その辺の概念の作り方が、欧米文化とアジア、日本ではかなり違っているのだろうと思います。そこで求められる<社会性>のありかたも、おそらくとんでもなく違っているのだろうと想像されます。

私がこのブログで追いかけている『発達障害』は、この<社会性>に関係していて、その概念は欧米からやってきました。これを日本の文化の中で考えていくことは、実はとても難しい問題なのではないかと思っているところです。


(『「生きる力」をつけるドイツ流子育てのすすめ』 サンドラ・ヘフェリン 2002年7月 PHP研究所  )




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